のっちゃんの攻城手記−安土城


第二回目は「安土城」を紹介します。

前回に引き続き、滋賀県のお城の紹介ですが、前回の「彦根城」とは距離も近いので、 一緒に巡るのも良いかもしれません。

安土城はあの戦国時代の雄、織田信長が築城したお城です。
彦根城とは違い、天守閣や櫓、庭園などの建築物は残っていませんが、 山頂部には遺構や石垣が良くのこります。 戦国の歴史ロマンにどっぷり浸ることの出来るお城です。

歩道はしっかり整備されていますが、坂道と階段が続きますので、 足元だけはしっかり準備しておきましょう。
また、当然自動販売機などは有りませんので、水分補給のための水筒や チョコレートなどの軽食も忘れずに準備してください。

時間があれば城攻めを行う前に、近くの「滋賀県立安土城考古博物館」と「信長の館」の見学をおすすめします。 予備知識を得ることで現地に行った際に、過ぎし日の戦国時代の情景を思い受かべるのにすごく役立ちます。

お勧めのルートは大手前の駐車場に車を止めて、大手道から?見寺本堂横を抜け、伝織田信忠邸を横に見ながら 天守跡へ登って?見寺跡から仁王門、百々橋口へ降りるのが良いと思います。
所有時間は駐車場から上記のルートでゆっくり廻って約2時間です。


【安土城紹介】
1576年(天正4)正月に丹羽長秀に命じて築城を開始し、1579年(天正7)に一応の完成を見ます。
山頂に5層7階の天守がそびえる当時としては画期的で壮大な城だった様です。

その後も工事は続き、本丸御殿、高雲寺御殿、?見寺など、次々と建物が整備されて行きましたが、  残念ながら、信長公は1582年(天正10)6月2日払暁の本能寺の変により、 信長は明智光秀によって殺されてしまいます。
そして安土城も、その混乱の中、天守などの主郭部分を焼失してしまいます。
(明智軍の兵が城下に放った火が燃え移った。城に入った信雄が火を放った。・・諸説があるようですが)

その後、信長の孫の三法師が3歳で城主として入城しますが、3年で岐阜城に移され、 安土城は1585年(天正13)に廃城となります。
築城を開始してから廃城までわずか10年でした。


【攻城手記】
朝、目を覚ましたらお天気が良いので当初から訪問したかった安土城のお城を攻める事にする。
大手前の無料駐車場に車を止め、朝食兼休憩。
さすがに人気のあるお城だけに、まだ9:00前にもかかわらず既に2〜3組のパーティを発見。 ナンバーは東京、静岡と遠距離ばかり。(私も人のことはいえないが・・・。)

トレッキングシューズに履き替えていざ登城開始。

登城をはじめるとすぐに、長く幅も広い立派な石段が見えてきます。
これが大手道ですが、この両側に家臣の屋敷があったようです。
この向かって左側には羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の屋敷跡が有ります。
右側には前田利家の屋敷跡があります。


羽柴秀吉屋敷跡は発掘調査も終わり埋め戻されて、今は何もありませんが、 現地の案内板には当時の屋敷の風景が絵で紹介されていました。 (かなり大きな建物が密集して建っていた事に感心。)
また、写真には有りませんが、向かいの前田利家の屋敷跡と伝えられる場所には、 排水溝のあとが残っており、当時の生活のあとがリアルに伝わってきます。





さらに石段を登ると、石段に小銭がおいてあるところがいくつもあります。
よく見ると石段に使われている石にお地蔵様が彫られています。
当時は、お地蔵様を彫った石まで調達したのですね。
ちょっと休んで手を合わせます。

石段が続くのにそろそろうんざり…。
下を見ると一直線の大手道がよく分かります。


だんだん道幅が狭くなり急でつづら折りになってきてます。 山の上に近づくにつれ、防御を考えてのことでしょう。
上るのが大変になってきました。
信長公は、毎日こんな坂を上り下りしていたのだろうか? と自問自答しながらのぼり続けます。


そうこうするうち、やっと黒金門あとに到着。
この門は二の丸下にあり、お城の守りの要となるところです。 門のあとがよく残っています。
また、このあたりの石垣は復元作業でも手がつけられておらず ほぼ、当時のままの姿をとどめています。
機械がなかった時代に、山頂近くによくぞこれだけ立派な石垣を築いたなぁ と当時の築城技術の高さと苦労に感心します。
この門をすぎるといよいよお城の主要部分に近づきます。




二の丸に到着しました。
ここには、羽柴秀吉によってたてられた信長公の廟が有ります。
志半ばで倒れた信長公はさぞ無念だったろうなどと思いながら 手を合わせます。


ここで、先発されていた東京のグループの方としばし雑談。 (みなさん歴史に詳しすぎる〜。)
会社を定年後、全国のお城を訪ねているという強者もいらっしゃれば、 今日で安土城は3回目と言うベテランの方もいらっしゃる。
富山のお城にもきてくださいね〜。と声をかけて本丸を目指します。

本丸下の石垣です。
下草が多きのでちょっとわかりにくいですが、安土城落城の際の火災のあとが 420年の時を経て未だに石垣に残っています。
なんだか複雑な気持ちになりました。


いよいよ本丸あとに到着です。
広いの一言。
よくぞ山頂にこれだけの石垣を組んだものだと感心。
さあこの石段を登れば、最上部の天守閣あとです。


天守台あとには、規則正しく並べられた基礎石が残ります。
ここに、天守があったのだと想像するだけでなんだかワクワクします。
さぞ見応えのある天守だったろうと思われます。
(復元された天守閣は安土城から車で2〜3分の場所いある  「信長の館」で見る事ができます。)


天守台からの眺め。
眺望がすばらしいです。
ちなみに、奥に見えるのが今の琵琶湖です。
今は干拓されて、水田が広がっていますが、築城当時は安土城の山裾まで 湖が広がっていたそうです。
敵が攻め寄せるときは苦労したことでしょう。


二の丸でお会いしたグループと分かれて、帰路につく。
下りの石段はらくちんらくちん。
駐車場に帰り着いて、小休止している間にも何台もの車が到着。 みんなお城巡りが好きなんだね〜。

さっきのグループに方にアドバイス頂いた「考古学博物館」と「信長の館」 を見学に行く。
復元された安土城のジオラマを見て、つくづくスケールお大きな城だなと実感。
贅をつくした復元された天守閣は圧巻の一言。



安土城は、現在でも発掘調査と整備が続いており、大手門近くは一層の整備が進んでいると共に 地下に埋もれたお堀のあとなども新しく見つかっっているようです。
年一回、発掘調査の現場説明会もあるようですので、時間が合えばぜひ参加してみたいですね。

また、歩道などはきちんと整備されているし、ゴミ一つ落ちていません。
地元の方の保全の苦労が忍ばれ、感謝。
いつまでもこのままの姿で残しておいて欲しいものです。


【メモ】
・交通アクセス
 所在地: 滋賀県蒲生郡安土町
 鉄 道: JRびわこ線安土駅〜徒歩20分
      (安土駅には各駅停車の普通電車しか停車しません。
       安土駅からの路線バスはありませんのでレンタサイクルや
       タクシーがおすすめ。)
  車 : 名神高速八日市IC〜国号421号線〜国道8号線で
 駐車場: 大手前に無料駐車場が有ります。(100台ほど)

・料金表
 安土城考古博物館と信長の館の共通券 大人680円
 (午前9:00〜午後5:00)(入館は4:30まで)

・近くの見所
 摠見寺(そうけんじ)跡
  同じ安土山にある摠見寺は織田信長が安土城築城に伴い
  創建した寺院です。
  ここからの眺める琵琶湖(西の湖)はすばらしいです。
 観音寺
  観音寺は西国32番札所。聖徳太子が建立したと伝えられています。
  インドの白檀を使用した高さ6メートルの千手千眼観世音菩薩座像が
  安置されているそうです。
 観音寺城跡
  近江の守護であった六角氏の居城跡。観音寺か、さらに観音寺山
  を登ります。
  ハイキングコースとして一応整備されていますが、かなりしんどいです。
  (私は途中で挫折しました。^^;)
 セミナリオ跡
  イタリア人宣教師オルガンチノによって天正9年(1581年)に創建された
  日本最初のキリシタン神学校の跡。
  安土城炎上の際に焼失し公園として整備されています。


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Text & Photo by Y.No


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