のっちゃんの攻城手記−苗木城


第16回目は「苗木城」を紹介します。

このお城は岐阜県の中津川市にあり、中津川有料道路の料金所の近くに有ります。
正直こぢんまりとしたお城で、全国的に知られた有名なお城ではありません。
天守閣などの建物は残っていませんが、明治時代まで存続したお城なので遺構は良く残っています。
(現在は天守は展望台として復元されています。)
前回ご紹介した岩村城から車で20分ぐらいですので、訪れる際は、岩村城とセットで訪れては如何でしょうか。
登城ルートもきちんと整備されているので、あまり足下に気をつけなくてもスニーカーで大丈夫です。
展望台からの眺めは最高です。お勧めですよ。

【苗木城紹介】
標高433mの高森山に築かれた山城で、苗木城に危機が迫ると木曽川から霧が一面に立ち上り、 城を隠してしまうという伝説があることから「霞城」とも、壁が赤土で塗られていたことから赤壁城とも呼ばれています。
築城には諸説あり、鎌倉時代とも戦国時代とも言われていますが、文元年(1532年)遠山直廉により築城された説が有力の様です。
遠山直廉は若き織田信長に仕え、桶狭間の戦いなどでも織田軍に参加し武功を上げたようです。
遠山直廉は織田信長の妹お勝の方を嫁として女の子(雪姫)をもうけます。
この雪姫はのちに信長の養女となり、武田勝頼に嫁いで嫡子信勝を産むことになります。)注 諸説あります。

元亀三年(1572年)武田信玄の上洛に伴い、すぐそばの岩村城には信玄の家臣である秋山信友が入り、 苗木城は織田方の最前線として戦うことになります。
天正10年(1582年)本能寺の変により信長が亡くなると、当時の城主遠山友忠は徳川家康に仕え始めます。
このため、翌年羽柴秀吉方の森長可に攻められることになり、苗木城は落城。
遠山友忠は家康を頼って浜松に落ち延びることになります。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの際、遠山友忠の嫡子遠山友政が苗木城を奪還します。
この功績により苗木藩一万石の大名として苗木城主に返り咲くことになります。
その後遠山氏は国替えなどなく12代に渡り明治4年(1871年)まで苗木藩主として苗木城を居城とします。

【攻城手記】
岩村城を攻めたあと、時間があったので何気なく苗木城によってみました。
正直訪れてみるまではあまり期待していなかったお城なんですが、 良い意味で期待を裏切ってくれました。^^

まずは、麓にある苗木遠山資料館に寄り案内図のついたパンフレットをゲットします。
ここには、苗木城の絵図面や模型が展示されているので、苗木城の全貌がよく分かります。
駐車場には苗木城の分かりやすい案内図もあります。
幕末この苗木城の領主であった遠山家と昨年の大河ドラマで有名になった「篤姫」は縁続きであったそうで、 大河ドラマで使われた女性用の乗物(籠)は、この資料館に展示されているものを複製して作ったそうです。
訪れた日は、武具と刀剣の特別展が開催されていましたが、正直あんまり興味無かったので・・・。

写真:01.苗木遠山資料館


写真:02.案内図


案合図をみても分かるように、天守の展望台まで徒歩15分。
お手頃な城攻めです。
資料館に車を停めそこから徒歩でも全然大丈夫ですが、この日は資料館の駐車場が混んでいたので 資料館の駐車場からもう少し進んだ登城口の所にある無料駐車場に車を止めます。

写真:03.登城口


この場所でいつものごとく靴を履き替えて登城開始。
まぁ。傾いている杭は直したほうが良いと思う。
(このコーナーに寄稿させてもらうようになってから、単なる城攻めをしていても このような”ネタ”を探してしまう自分に気が付いたのはナイショです。(笑))

ほどなく「風吹門」をすぎ、3ノ丸の到着です。
ここには、大矢倉跡が出迎えてくれます。

写真:04.大矢倉跡


巨石をうまく使った重量感のあるどっしりとした見事な石垣です。
当時は、この上に三階建ての櫓が建っていたそうで、大手門から攻め込んで来る敵を 高いところから狙い撃ちできるように作られたのでしょう。
写真には写っていませんが、小さなお城の割には観光客も多いんですよ。
みんなでこの場所でシャッターを切ってます。(笑)
この山全体がハイキングコースになっているからかもしれませんが。
しばし休憩し先へ進みます。

写真:05.大門跡


ここから、2の丸や本丸に向かいます。
当時、この門は城内で一番大きな2階建ての門だったそうです。
この門の内側すぐの所に、きれいな石垣の一角があります。
ここには御朱印蔵が建っており、将軍家から与えられた領地の目録や朱印状など 重要な書類などが保管されていたそうです。
大門跡からちょっと寄り道をして、二の丸に向かいます。

写真:06.二の丸あと


ここは、当時城主の住まいとして利用されていた場所で、今でも建物の基礎石が整然と並んでいます。
二の丸の奥にも本丸取り囲む様にしていくつもの曲輪が残っています。

本丸に進むメインルートは、つづら折りになっていて要所要所にいくつもの門が建てられていました。
三の丸の大門跡から数えても、綿蔵門−坂下門−菱門−本丸口門と本丸にたどり着くためには4つもの門を くぐらなければなりません。
平時でも監視は厳しく綿蔵門では、夕方の4時以降は扉が閉めらてしまい本丸には進めなかったそうです。

写真:07.坂下門あと


写真は坂下門跡を写したものですが、今でも門の跡がはっきりと残ります。
今では、登城ルートもきちんと整備されているので非常に登りやすいです。
山道もそれほど急坂ではありませんし。
ほどなく本丸口門に到着です。

写真:08.本丸口門あと


この石垣の上が本丸です。
やっぱり扇状の石垣は形がきれいですね。
石垣の手前には千石井戸と呼ばれる井戸が今でも水をたたえています。
正直小さな井戸ですが、どんなに日照りが続いても水が枯れたことがないそうです。
本丸口門の左側には、的場跡が残っています。当時はここで弓の稽古をしたのでしょうか。

写真:09.大矢倉上から


ここからは三の丸にある大矢倉を上から眺めることができます。
三の丸から見上げて見ていた大矢倉もなかなかのものでしたが、 こうやって上から見下ろす大矢倉も壮観で立派です。
さぁ。いよいよ本丸にある天守台(展望台)です。

写真:10.展望台へ


天守台(展望台)からはこのような眺めが堪能できます。
苦労してここまで登ってきた甲斐が有りましたね。
疲れが吹っ飛ぶ瞬間です。^^
(まぁ。麓まで車で登れるので大して苦労もしていないんですが。 当日は風が強くて帽子は吹っ飛びそうになりましたが・・・。)

写真:11.展望台からの眺め1


写真:12.展望台からの眺め2


当日は天気が良く無くちょっと残念。
天気が良ければ最高でしょうねぇ。

さて、このお城の天守台は非常に珍しい建て方がされています。
山の頂上部にあった巨石の上にまたがる形で建てられており、 岩に穴やミゾを彫って、柱を立ててたのだそうです。
まさに復元された展望台が使用している穴やミゾは当時彫られたものをそのまま利用しているとのことです。
ここに当時は三層の天守が築かれていたと言うから驚きと当時の建築技術に脱帽です。

写真:13.天守下1


写真:14.天守下2


天守台のちょっと下には馬洗岩と呼ばれる大岩もあります。
これは、周囲約45mの花崗岩でできており、苗木城が敵に攻められて包囲され水不足に陥ったとき、 この岩の上に馬を乗せ米で洗って敵に水が豊富なように見せた言う逸話が残っている岩です。
ここから本丸へ登る石段と石垣も見事です。

写真:15.馬洗い岩


本丸からの下りは楽チン楽チン。
写真ばっかり取っているので、珍しがられたのかハイキング中のおばさま達に囲まれて質問攻めに。
そりゃわざわざ富山からお城を見に来る人もそうは居ないんでしょうねぇ;;。

【まとめ】
城攻めの後で色々調べると、苗木藩の当時の石高はなんと1万石。
良くもこれだけのお城を維持できたものだと感心する。
山の所々にある巨石をうまく防御に利用した攻めるに難しいお城で 大矢倉や三の丸の東側にある虎口の石垣など遺構も良く残り見応えがあります。
特に天守台からの眺めは最高です。
(高いところが苦手な人には向かないかも。)

【メモ】


・交通アクセス
所在地: 岐阜県中津川市苗木
鉄 道: JR中央本線 中津川駅から北恵那交通バス「苗木」バス停下車 徒歩20分。
車  : 中央自動車道中津川ICから国道257号で、中津川有料道路を使って約10分。
駐車場: 麓の苗木遠山史料館に無料駐車場(約20台程度)
そこからすぐの無料駐車場(約10台程度)

・入城料:

無料

・近くの見所:
 
苗木遠山史料館
開館時間: 午前9時30分から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日: 毎週月曜日,12月27日〜1月5日(月曜日が祝日等にあたる場合は翌日の火曜日)
入館料: 310円(団体 260円) ※団体は10名以上 小・中学生および幼児は無料
馬籠宿
島崎藤村の生誕地で中山道の宿場町で観光客に人気。
馬籠脇本陣資料館や清水屋資料館など見所も。


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Text & Photo by Y.No


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