山歩きコースの「白鳥城址」は、天正13年(1585年)に佐々成政を討伐するため、
豊臣秀吉が大軍を率いて越中に進攻し、本陣を置いた白鳥城の跡なのだそうです。地元の
郷土史家の奥野泰之さんに詳しく説明していただきました。 |
「今から418年前の天正13年の8月下旬、多くの有力大名を動員した豊臣秀吉の
連合軍が富山城を包囲しました。富山城主の佐々成政は一戦も交えることなく降伏しましたが、
その折、秀吉との降伏会見の場所がこの白鳥城だったと言われています。秀吉の陣営の中には、
金沢城主の前田利家もいましたから、今年のNHK大河ドラマの主人公達3人が奇しくもこの
呉羽山で戦国のある一日を過ごしたことになります。 彼等3人は共に40代の後半、同じ尾張出身の同郷同輩の間柄でしたが、今や立場を異にし、 異郷の山頂で、どのような雰囲気の中で、どのような言葉を交わしたのでしょうか。 このあと、成政は大阪城内へ移し替えとなり、この山城は前田氏の管理するところとなり ましたが、戦国時代の終わりと共に、その後使われることもなく現在に至っています。 なお、この城は源平の頃、木曽義仲の軍勢が陣を布いており、また、戦国の最中には、 上杉謙信や一向一揆、或いは神保・椎名など越中武士団が何回も戦火の場とした記録が 残されています。 現在この地を白鳥城址と呼んでいますが、それは近年になって名付けた呼び名であり、往時は 「呉服山」とか「呉服峯」と呼ばれていて、戦の際、軍勢が終結したり、立て籠もったりする 城塞、つまり詰城(つめじろ)だったと言われています。」 |
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