※現地に設置してある案内板より転載
「富山の電灯」発祥地
明治28年(1895年)水力発電所の実現に青春を賭けた密田孝吉青年と、後援を誓った若き実業家 金岡又左衛門は、富山市の南方12km、飛騨街道に沿うこの塩地区を建設地点と定め、固く手を握り合いました。
明治31年2月(1898年)二人は多くの困難を乗り越え、資本金10万円の富山電灯を設立し、発電所の建設に着手。
明治32年(1899年)4月ついに完成。日本で3番目となった水車発電機(出力120キロワット)を運転し、富山市に初めて電気の供給を開始しました。
当時の契約数は957灯。北陸地方で最初に電気事業用として電気の灯を輝かし、ランプの暮らしに慣れた人々には衝撃的な驚きでした。
大正5年(1916年)には、電気の使用量も増加し、国産の2号機(出力400キロワット)が増設されました。
初代の水車発電機は、昭和6年6月(1931年)にその役目を終え、現在は富山支店神通電力部構内(旧大沢野町笹津)に展示され、富山県電気史の夜明けを物語っています。
また、2号機も82年間にわたり運転されましたが、平成11年3月(1999年)に新しい水車発電機(出力500キロワット)になりました。
北陸に初めて電気を灯して100年を迎え、現在でも地元の人々に「塩の発電所」として親しまれています。
(北陸電力)
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